ただの気持ちの吐き出し

今日は朝から辛い

天気のせいか?

 

今朝午後から雨予報なので次男を送迎して、

『日直頑張る!』と出ていった彼のために夕飯美味しいもの作ろうと思った瞬間に

長男のこと思い出してしまって、

 

長男は夕食をとても楽しみに生きている子で

夕飯のメニュー聞いては『楽しみ』と言ってくれ、

『美味しかった、ごちそうさま』と毎日言ってくれた。

彼の何がいけなかったんだろう。

夕飯楽しみに生きて、何が悪いのだろう。

私は何を見ていたんだろう。

個性を活かしたい、

なんなんだろう

私は何にイラついていたんだろう

 

社会のレールから外れること、そういうこともある、

それが悪ではないこと

そんなの頭では十分すぎるほどわかっている、わかっていた

これからはいろんな生き方、稼ぎ方がある。

そんなの知ってる。知っていた

 

でも一番それを私は怖がっていたのかな

そっちの生き方、自由や自分らしさを選んでいい、選びたいと思いつつ

心の底で恐怖や不安、振り切れなさを感じていた

 

長男は順調に進学して就職して定年を迎える人とは違うんだ、
我が家は新しい生き方を選んだ人なんだ

 

もっと汚い言葉で言うと、

順調にレールを進んだ人とは違う幸せの波に乗っているんだ

私の方が周りに振り回されることなく自由に生きる道を選択したんだ

こっちの道が素晴らしいんだ

 

そう思っていたし、自信もあったんだ

表面的にはそんな表現しないよ。

でも、心の底で

広告や常識を疑わず、時間やお金、自分のエネルギーを消費して、

疲弊している人を見て、

内心でもっとできることあるのに、なんで行動しないんだろう、と思っていた

 

その結果私が受け取った現実が長男の死だった。

 

なんなんだよ、これ

こっちの選択で幸せになれるんじゃなかったのかよ

私が選んだ情報は間違ってたのかよ

新しい選択、怖い中、何年もやってきたんだよ

 

ちょっと納得できないところはあったけど結婚して、仕事して、育休取ったら職場の人に心ない悪口言われて、長男は保育園毎日一番のりで、お迎えも遅くて、無理させてたから毎回風邪の後は中耳炎になって、私たちがイライラした結果怪我させて救急で処置してもらったり、二人目妊娠したけど、工場の作業とストレスで入院、流産して、会社戻ってもそのことで不快な言葉言われて、会社が工場閉鎖で、したくもないのに引っ越し、同居して、新しい会社がパワハラセクハラあったのに、自分殺して乗り越えて、義両親から二人目急かされて不妊治療、体外受精して、妊娠後早い時期から話し進めてた育児休暇も取らせてもらえなくて、産後に会社で罵声浴びさせられて、わけもわからず会社復帰して、その後震災あって、原発問題怖いのに義両親はまともに聞いてくれなくて、次男の発育発語が遅いって大学病院通って、先生と会わなくてやめて、夫に腫瘍が見つかって手術して、その後うつ病になっちゃって、仕事と通院の送迎して、小学校に上がった次男にトラブル増えて、やっと私が会社辞める決心した、その後長男が不登校になり、通信高校入学、年数回の登校日に登校できず中退。登校日も毎回トラブル続きだった、朝時間に出たのに自宅敷地内に隠れてたり、学校前まで送迎しても降りれなかったり、一番大変だったのはつくば本校まで新幹線、レンタカー、ホテル予約しても行けなかったこと。どこで、どのタイミングで諦めなきゃいけないのかわからなかった。

 

その後、専業主婦になり時間に余裕でき苦手だった片付けはじめた。心も整ってきて、お金も整えることが出来た。

いままでは仕事と家事、子育てをどう効率的にやっていくか。

それしか考えていなかったけど、仕事辞めることでこんな世界があるんだと知った。

 

 

社会の当り前をやめて、我が家の選択をするようになった。

疲れなくなったしお金もたまった。

そのおかげで気持ちの余裕も出来た。

 

人生よき方向に舵を切ったと思っていた。

 

ただ、いま思うのが

自分の人生を考えたとき、『何か』を継続すること、真剣にやっていくこと、覚悟を決めることは怖くてできなかった。

 

家計のことはできた、片付け、掃除、料理、買い物、など整えた。

だってこれってそんなに怖くないことなんだよ。

もちろん、買い物とかお金については夫に明らかにすることは怖かった。

自分がどんなことに今までお金使っていて何が無駄だったか、とか

夫のカード明細見せてもらうこととか。

片付け掃除も出来ない自分を認めることが嫌だった時期もあった

 

もちろん、明らかにしなくてもよかったけど、私が『堂々としていたい』タイプで、

後ろめたいとか、見られたら困るとか、びくびくするとか、
そうゆうことはもう手放したかった。

だからそうしただけ。

 

なんか、ここまで書いて読むと

結婚後の22年何だったんだろう

何を目指してどこに向かっていたんだろう

何を手に入れて残ったんだろう

 

 

 

 

 

美容室に行けました

悩んだけど、今日美容室行ってきた。

カット、カラー、ヘッドスパのコースをカットのみに変更で。

(事前に変更連絡済み)

 

頭の中で

もし話す場合のシュミレーションしていったにもかかわらず、

シャンプー台に座った時に
えりさんがたまたま正面に居て

私をまっすぐ見て

『何か変えたいんですか?』

って聞かれたら、

涙止まらなくて、

『悲しいんです』ってしか言えなくて。

 

短く事情話して、

短時間でカット終わらせてもらいました。

 

こうして話すことでどんどん現実になっていく感じがあって

でも、身近な友達にはまだいう勇気がない気持ちと

話さないでメールを返信する罪悪感みたいなものでざわざわもしてて。

 

ありがたいことに

少し距離がある方がタイミングよく聞いてくれていることで

助けられていたりします。

 

 

 

見えないことについて

友だちに連絡したいのに、

いざ連絡しようと思うと、

本当に今この友だちは実在するのかな?って思うと電話できなくて

 

私は何もわからないけど、

目に見えないこと、意識の話が好きでね、

 

こうして文章書いていることも苦しくて、

でも言葉にしてしまったら認めてしまうことになるし、

 

私が現実を作っている。

ってことを、採用したいのね。

なぜなら私が主導権を握りたいからで、

でも、なぜ握りたい?

思い通りにしたいのか、

わからないことが怖いのか。

わかることが楽なのか。

 

私は何が来ても無敵なのではないか。

何にでもなれるからこそ何者にならなくていいのではないか。

これが私が望んだ結果なのか

 

春分の望みをみんなで体験した結果がこれか。

私は何が欲しかったのかな。

 

出来事に意味はない

それぞれの意味付けがあるだけ。

 

感じたかったのは感情で

どんな出来事でもよかったんだと

でも、なんでこれなんだろう。

この出来事なんだろう。

 

どうしよう、誰に話せば整理がつくんだろう。

いや、私の中の世界の話だから私と話す?

外の世界も私だから外に手を伸ばす?

ランジェリーサロンRue de Ryu(リュードゥリュー)で号泣してきた話

先日長年の夢だったランジェリーショップ

【リュー・ドゥ・リュー(Rue de Ryu )】実店舗へフィッティングに行きました。

www.ruederyu.com

 

写真を撮ることも忘れるほど美しい空間でした。

が、

まさか、この時【こんな美しい空間で号泣するとは】思ってもいませんでした。

 

私は普段地方販売会で下着を購入しています。

こちらのお店は以前購入した下着のチェックをしてくれ、

必要であればお直ししてくれます。

 

ですので、いつも通り下着のチェックからお願いしました。

持参した下着2点とも一番奥でホックすれば大丈夫だけど、

生地が元気なうちにお直しすることにしました。

 

最近片付け、モノとの向き合いを大切にしている私は

オーナーの龍さんに質問しました。

 

私「お直しは何回までできますか?」

 

龍さん「こちらは1回ですね。一度お直しして全うしてもらいましょう」

 

そう聞いて、私のところにやってきてくれたこの2点の下着を

今回お直しして大切に使い切ろう。

そう決めました。

 

その後、新しく販売された2点の下着を試着しました。

この2つはそれぞれ違う周波数を生地に記憶させてるそうです。

 

記事を正しく書きたくてリュードゥリューのHP確認してきたのですが、

詳しく書かれてるページは見つけられませんでした。

以下、私の記憶や妄想がまざった感想です(笑)

 

1つは4から始まる3ケタ、もう1つは5で3ケタと記憶していて。

検索したところソルフェジオ周波数という言葉が出てきました。

 

そういえば、フィッティング中カタカナの言葉を聞いたような気もする。

 

だとすると、417Hz、528Hzかな

 

174Hz    意識の拡大、進化の基礎
285Hz    多次元領域からの意識の拡大と促進
396Hz    トラウマ・恐怖からの解放
417Hz    変化に挑戦する心、知性
528Hz    DNAの修復、奇跡
639Hz    人間関係の向上
741Hz    問題を解決する力、表現力の向上
852Hz    直感力の覚醒
963Hz    高次元、宇宙意識とつながる

 

龍さんからの説明を簡単に書くと

417Hzの下着は

新しい世界への恐怖を支えてくれる

528Hzの下着は

幸せに気づく

幸せになるのではなく、もう幸せだった。私はそんなイメージを持ちました。

 

両方試着して、私は今すぐに417Hzの下着を購入したかったんです。

 

新しい世界への恐怖

ここ数カ月、いや、認めたくないけど本当は数年尻込みして、

ちょっとずつチャレンジしていることがある。

「何が」とは言葉で言い表せないんだけど。

 

そっちの側に突き抜けてしまえば、そう過ごしてしまえばいいだけのこと。

尻込みしているからこそ、

ちょっとした違和感や不快感が定期的に出来事としてやってくる。

悪いことでは無い、ただのお知らせだから。

でも、この違和感を何度も、何年も体験しなくてもいいわけで、とも思っている。

雑な言い方をすれば、違和感に心乱れることが飽きてるのかもしれない。

 

下着を購入することで、
一歩踏み出せない自分を変えたかった。

弱い自分を支えて欲しかったのです。

 

同時に、いまアイテムを増やすと
お直ししたもの、自宅にある下着たちの出番が減ってしまう。

ただでさえ新しいもの優先に着用している私。

気にかけてあげられなくなる自分が好きじゃないんです。

 

ついさっき「今手元にある物を最後まで大切に使おう」と決めたのに、

弱い自分が新しい物を欲しがっていることがとても悲しくて。

 

新しい物を買う=今ある物を大切にしない

わけではない。

でも、私はうまくお付き合いができないことを知っている。

 

 

今回は購入しないことを伝えました。

 

龍さんが商品を片付けながら、

「必要であれば必ずこちらの商品は残っています。」

って話してくれました。

 

驚いたことが、

龍さんはサイズだけで私に商品を勧めていなかったのです。

 

例えば、E80のブラの在庫がが3枚だとして、

その中から私に合うものをフィッティングルームに持ってきてくれていたんです。

人の作る物だから微妙に違いがあり、それが悪いことでは無く、

微妙な違いを必要とする人が必ず現れる。
手に取った時にエネルギーの違いも感じるそうです。

 

「必要であれば必ずこちらの商品は残っています。」は

E80が残っているという意味ではなく、
私が試着したもの(私に必要な物)が残っているという意味だったんです。

 

その言葉を聞いて私は涙が出てきてしまって。

鼻水たらしながら龍さんに抱き着いて泣いてしまったんです。

 

フィッティングの限られた時間、

私がそんなにも丁寧に扱われていたこと。

物を大切にしたいのに出来ない自分。

弱い自分を物で補おうとしてる自分。

新幹線の時間が気になる自分。

お店でゆっくり選びたい自分。

 

弱くても、出来なくてもいいし、

新幹線遅らせても問題ないし、

でも家が好きすぎて早く帰りたいし。

そんな私がこんなにも丁寧に扱われていること。

いろんな気持ちが溢れてしまいました。

 

 

いろいろあった東京一泊旅行でしたが、

リュードゥリューに行けたことももちろんですが、

会いたかった方に会えて、新しい人、お店も楽しめて

「いってきな」って言ってくれた夫に感謝しかありません。

 

あー、販売会もいいけど、やっぱりまたお店に行きたいなぁ。

下着だけじゃなく新しいこと、欲しかった言葉が必ずもらえる空間。

リュードゥリュー大好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この子がこの子でいい理由と私が私でいい理由

今朝YouTubeのショート動画を流し見しているときに

とても気が晴れる情報を目にしました。

その動画を見ている時は気づきませんでしたが、少し前に読んだ
鏡の法則」の作家さん野口先生の動画でした。

 

ここからは動画で話している内容

昔子供に恵まれない夫婦が13年目でやっと妊娠出産できた。

生まれた子は手足がなく頭の形?顔の形だったかな、普通とは違う状態で生まれてきた。

先に我が子を見た夫は妻を心配したが、妻は一瞬顔色が変わったがすぐに笑顔で夫に言った

「神様がこの子をどの夫婦に託すか長い間探し回っていたからこんなに時間がかかったんだね、そして私たち夫婦なら大丈夫だと信頼してこの子を授けてくれたんだ。だから大切に育てようね」

 

人生の試練は「この人なら大丈夫」と天が与えたものかもしれませんね。

野口先生が言ってました。

 

以上が私の言葉で動画についての説明

 

思い出したことがいくつかあって

振り返れば妊活中は、検査してどっちに問題があるとかないとかの毎日でさ、

検査でわかる範囲なんて全てじゃないのにどっちかが責任を感じることじゃないし、理由を知らない外野がいろいろ探ることでもない。

子供を早くに亡くした友達のこととか、もちろん本人には言わないけど、短い時間でも尊い子との時間。

流産の経験とかそうゆうのも含めて、数ヶ月でもお腹にいてくれた時間。

どうしても自分を責めがちだったけど、短い間でもお腹にいてくれたこと、その後妊娠して出産、子育てしてること。

全て自分のままでいいって

 

で、同じように子供も大丈夫だと信頼されて生まれてきたんだから大丈夫で

 

日常いろいろあるけど、逃げてもいいし乗り越えてもいいし、

どっちでもいいかって

なんか思った

 

私はこの子の親として何者かに信頼されて今居る。

自分は自分らしくいれば問題ない。

 

確かに、次男とのことは会社辞めて私がのんびりできるようになってからあっとゆうまに解決した。

気持ちがざわつくことを一つ一つやめていけば、私らしくやりたいことだけやってればそれでいいのかもしれない。

 

動画が「鏡の法則」の方だと知って知ってビックリした。

動画も見たことないし、検索もしたことないのに。

YouTubeのおすすめって頭いいのなー

不登校の長男とイライラしながら過ごす私の愚痴①

あーぁもう毎日疲れた。

気持ちが疲れた。

とりあえず3年生の勉強に進みつつ、2年生のスクーリングがクリアしてないから学校側から進路について何も話がない。

仕方ないよね。話したってさ、

で、スクーリングいけない理由をちゃんと学校側に伝えてほしいって言われて、長男の希望で親を挟まず保健指導の先生とのやり取りに進んだものの、あいつまだメールしてなくて、お盆あたりから何もしてないじゃん。って。

基本独り言+イヤホンだから日常話にならないし、在宅で仕事していても独り言他歌や笑い声がうるさくて私は仕事が進まないし、諦めて図書館行ったりしつつも、なんで住宅ローン払った私が家を出なくちゃいけないのか腹立つし、あと半年でうまいこと行けば家を出るかもしれないからあと半年の辛抱なのか、なぜそんなことを私が辛抱しないといけないのかわからなくて、結局仕事やめて第一の望みだった次男との仲の修復はできたけど、あいかわらず長男が面倒くさい。

 

文句なんてたくさん出る。

でも、わかってる。私がやりたい事をしていないから長男が目についているだけでさ、やりたい事に邁進していたら長男なんてそもそも気にもならないわけだから。

自分のやりたい事をしないこと、させてあげないことって恐ろしい。

可愛い息子をこんな風に言ってしまうんだから。

さとうみつろうさんの本、悪魔とのおしゃべりにもあったけど、本当の意味で自分勝手にしていることが平和につながるのかもしれない。いや、平和につながるんだ。

自分のやりたい事をさせてあげてる。ストレスもないし、いい気分なんだから。誰かを傷つけようともしない。自分一人で感情の完結が出来ていれば、八つ当たりもしないしね。誰かに物足りなさを埋めてもらおうとも思わないし。

自分がやるべきことから目をそらすからこんな汚い感情がでてくる。

私はこんなことがしたいんじゃない。

次男が自立したタイミングで私も自立する。

今すぐ家を出れないのは(いや、すべてを捨てて出ればいいだけなんだけど、それよりも次男が大事だから)準備期間がもらえただけ。ありがたい。

自立に向けて一つ一つ準備ができるんだ。おまけに次男と過ごせる。

だから、長男に腹立ててないでちゃくちゃくと準備をするんだ。

次男との関係の為に退職したように、20年前に私が私にしてあげたかったことをするんだ。

 

 

 

羨ましいあの人も、可哀そうなこの人も、結局自分で創ってたはなし。

書いたブログを公開してなかったことに気づいた
(;゚Д゚)

チョッと時期がズレたけどそのまま公開!

 

昨日の地震ビックリしましたね!
震源地に近い我が家は震度6でした。
大きな被害ないことを祈ります。

ただの整理日記。

可哀そうな実母を自分が創っていた話。

今日のBGMはシュガーソウル♪
15年ぶりくらいに聴いてます。
声がエロいわ…いや艶っぽいわ。

一緒に居ても見えてる世界はそれぞれ違う。

「一緒に居ても見えてる世界はそれぞれ違う」

これって言葉にすると当たり前だけど、
日常忘れないって私は難しくて。

夫婦でもつい
「同じものを見ている感」に
陥ってモヤモヤすることがあります。

それぞれのフィルターを通して
目の前の現実を見ているので
仕方ないですよね。
で、お互い押し付けることも出来ません。

何度もいろいろな動画や本で
角度を変えて説明してくれてます。

少しずつ理解してきたところで、
ふと思ったんです。
私は自分の実家を勝手に
「不幸な家」にしてるのではないか?

心がざわつき鳥肌立ちましたね。

「やってしもーた。」

飾らない言葉でぶっちゃけると、
「私は不幸な実家から飛び出した、自立した立派な娘。
実家に入り浸る自立してない他の姉妹とは違うのよ!」

そんな役どころ(笑)
なんか私の心汚い。
認めるのは恥ずかしいけど、
自分は他の姉妹より実家を頼らずすごいでしょ。
どこかでそう思ってた。

書かなくてもいいんだろうけど、
夫の前で他の姉妹のことを下に発言することあった。
そう言ってるってことは、どこかで下に見てたってこと。

よくよく考えればさ、
私が実家に顔出さなくても事が済むのは
常に実家に他の姉妹が出入りしているからであって。

実家と心の距離があるおかげで、
私は日々安定している。
本当は私が助けられていた。
今頃その現実に気づいてしまった。

人は目の前のことを正しく見ているのかな?

人間って、今見えてるものを正しく認識してないそうです。

ほぼ過去の記憶で現実を見ていて、
目の前のものを正しく見れているのは数パーセントだけ。

脳は出来るだけ疲れないように働いているから
このようなことが起こってるのだと。

確かに目に映るものすべて一から認識していたら、
毎日新しい地域に旅行しているようなもの。
数日の旅行なら新鮮だけど、
日常になってしまっては疲れ果ててしまう。

で、そもそも「実家は不幸」って正しいのだろうか?

定期的に警察沙汰になるし、
お酒やお金で揉める。
心配性な母は、姉や姪の仕事の心配を日々している。
会うたび妹家族の愚痴を聞かされる。

でも、これは不幸なのだろうか?

実母は可愛そうな人なのだろうか?

不幸とか可愛そうとか誰が決めるんだろうか?

見る角度によっては、
常に実の娘、孫に囲まれて幸せなのではないか?

そう、同じ人もどの角度から見るかで
印象がガラッと変わる。

右から見れば正しく見え、
左から見れば間違っているように見える場合もある。

上から見ればみんな同じに見え、
正面から見れば個性豊かな顔立ちだろう。

誰もが正しくて誰もが間違う。

そして、私のような娘の立場で実家を見たときに、
過去の親子関係、姉妹間での思い出というフィルターが入る。
ゆがむ。

もう正しく認識できてない。

世界は自分が創る、だったら幸せを創造しよう。

最近、意識が「いま」から離れないように
注意深く自分を見守っています。

注意深くなんて面倒くさいなんて思わないで。
それは自分をないがしろにしていること。
出来る時でいいの。

先週までは音声聴きながら家事をしてた。
やりたくないから好きな音声で誤魔化してた。
ここ数日は、
「切る・切る」と心で唱えながらニンジン切ったり、
「拭く・拭く」と心で唱えながら床拭きしたりしてる。

今ブログを書いている。
頭の中は記事のことだけ考える。
当たり前っぽいけど、
頭の中が過去の嫌な思い出の自分になったり、
未来の不安をイメージしてる自分になったり。

頭も気持ちも忙しかった。

でも、そんな過去も未来も今はなくて。
正しくもない記憶で感情遊びしてただけ。
さっき書いたけど、
私たちは独自のフィルターを通してイメージしている。

そう、いま以外は何も正しいものはないの。

いま・いま・いま…

唱え方はなんでもいい。

いまここでは何も起こっていない。
過去の辛い思い出も、未来の不安も何もない。
何もないからこそ感情遊びができるわけだ。

昨日の地震の時だってそう、
揺れているときは目の前の息子を守るのに必死で、
時計が落ちようと、家のきしむ音が怖くても関係ない。
過去も未来もない。
いま、目の前の息子を守りたいだけ。
それだけ。

どうせ「いま」しかないのなら、
幸せなフィルターを通してもいい。
ありがたいことに、
私は子どもの頃の楽しい家族との思い出がある。
わざわざ辛いフィルターを採用しなくてもいいんだ。

私が今ここでフィルターを変えて世界を見れば、
幸せな実家に幸せな実母がいる。
育ててくれた両親、一緒に育った兄弟姉妹を
私の世界で不幸にして、自分を優位なポジションにしなくてもよくて。

だって、私は誰かと比べなくても本当は素晴らしい存在なんだから。

みんなそのままで素晴らしい。

この言葉を自分で認められなくて、
一生懸命誰かと比べて優れているとアピールしていた。
周りから認めてもらうことで自信がついて
素晴らしい自分を自分で認められるんだと思っていた。

でもそうじゃなかった。
ブログを書いて、整理できて今気づいた。

幸せは有り余っていることを
本心の部分で受け入れてなかった。

私は誰かと比べないで、いま幸せで素晴らしい存在で、
実母も比較や条件は必要なく幸せで素晴らしい存在。

本当の親孝行って
親を幸せで素晴らしい存在だと認識し
お付き合い続けていけることなのかもしれません。