不登校の長男の隣で「夢が叶う・叶わない」の違いを整理してみた。

同じ内容も違う切り口だと理解できることもあるよね。


通信高校に通う長男は、
今年度の登校日全て不参加でして。

数日前学校から最後のチャンスをいただき、
300キロ離れた本校まで行きました。
しかし、参加できず。
バタバタとホテルキャンセルして帰ってきました。

新幹線とレンタカーでの移動。
お母さん知らない町の運転は疲れたよ。
(*´Д`)

 

年3回の登校が難しい長男から私は何を得るのか?

観察って表現があってるかは分からない。
私的にここ3年位の彼との付き合いで、
観察って言葉がちょうどよい。

あまり感情的になると
疲れるし、ハッピーな結果にならなかったしね。

今回の不参加という結果の前に
地元の会場での登校日は3回あったけど全て参加できず。
車での送迎も地元とは言え近距離ではなく、
すでに私たち夫婦は疲れていました。

今回急遽学校側が補講を準備してくれ、
急すぎてスケジュールも未定のまま
新幹線、レンタカーやホテルの手配と送迎。

で、結果不参加。

さあ、私はここで何に気づくんでしょうか?
何か私にとって必要ないことをしてるんでしょうね。
疲れるってことは、本来の自分に不要なことをしている証拠。

ほっとくのが一番なんでしょうね(笑)

そして、私は私のことをする。

そうゆうことなんでしょう。

私は意外と物好きななので、
今回のように知らない町に突然行くとか楽しんでいるの。

でもそれって
息子を理由にしなくてよくてさ。
行きたいところがあれば行けばいいんであって。
とはいえ、行けない言い訳はたくさんあるけど、
そうゆうこと抜きにして、
他人を理由にせず自分のことやれって話で。

正直今回の送迎が無かったら、
自宅でゆっくりブログ書けてた。
そんな気持ちもあった。

本当は息子には自分で行ってもらって、
静かな自宅で好きな本読んで、ブログ書きたかったんだ。

本当に自分の好きなことしかできない世界なんだなわ。

長男の不登校に限らず
行けない時って、その先に不安や不快があるわけで。

40年生きていれば同じように感じた経験もあるわけで。
でも私はその気持ちを無視してたんだよね。
でもさ、今ブログ書きながら想い馳せるとね、
自分かわいそうだったな。って。

夢が叶う・叶わないについて整理してみた。

「夢が叶う」って書くと大げさだけど、
自分らしくいて安心感や充足感が得られるのか。

安心安全という気持ちがあって
初めてのびのび出来る。

そんな環境を子供たちには準備したいと思いつつも、
自分が自分と離れていると不安になってしまうから、
まずは私が自分と一致した状態でいよう。

本来の自分と一致する。

周りを変えようとしないこと。
それは自分をないがしろにしていることだから。

私が私を最優先することで、
みんながみんな自分を最優先するでしょう。

周りを見渡すと希望の職種で充実してる人は
損得勘定がない人が多く、
医療系に進んだ人は
子どもの頃からの夢だった。
昔入院した時に助けられて自分も目指した。

技術職の人は
小さな頃からモノ作りが好きだった。
分解して中身を確認するのが楽しい。

学生時代、夢を叶える前にそう話していました。
話を聞いてるこっちまで気持ちよくなります。

夢が叶うだけじゃなく、
その道が自分の道だった人の共通点。
今思い出しました。

同じように学生の頃進路について話した人で、
安定が欲しく公務員を目指した人、
お給料で会社を選んだ人は
不採用だったり、長続きしませんでした。

公務員を目指していた同級生は
家庭が経済的に不安定な子でした。
母親から公務員を勧められたそうです。

不採用や退職することを否定はしません。
経験や通り道だから。
寄り道が人生を豊かにしますし。

たどり着いた言葉は
「自分を否定する夢は幸せにならない」

夢が叶う=私になることなのかな。

個性をパズルのピースに例える話を聞いたことがあります。

「自分を否定する夢は幸せにならない」は
自分にとって近い話です。

夢を選べない。
そう書いたらわが子は悲しむかしら…

私たちはそれぞれ違う個性を持っていて、
そのおかげで違う経験や感情を体験できる。
それは広い視野で見ればとても豊かなこと。

でも、今回の私がそうなんだけど、
社会的・親の責任・常識的・統計的等々
そう言った外的なことを判断の軸にしてしまうと、
今の彼を否定することになり、本来の良さが表面に現れない。

今彼が彼のままでピッタリハマる場所があるわけで。
そこにいれば安心できるのに。

外的な情報で自分を否定してしまうと、
望まないことを夢と勘違いしてしまったり、
努力しても夢が叶わない、夢は叶ったけど幸せじゃない。
そう感じてしまうんではないかと考えました。

自分をどこかで否定する夢は叶わなくて、
自分の適性というのかな、
個性を魅力的に発揮できる夢は必ず叶うのではないか。
ブログ書きながら整理してたどり着きました。

叶わないのはどこかで無理をしている。
本当の望みじゃないかも…と疑ってみる。
そう肩の力を抜いて、
背負っている不要なものをおろす。
その繰り返しなのかもしれませんね。

目の前の現実は錯覚かも?と疑ってみることで当たり前に願いが叶う。

今日も整理のために書きます。

そういえば、ブログに書いたかな?

少し前にお風呂で思ったの。
「ブログを書く=残る」
そんな当たり前のことが降ってきた。

このブログは私の整理と、
何かのタイミングで子供たちが見てくれたら嬉しい。

水を飲むように当たり前に願いを叶える。

先日何かの動画で
「水を飲むのも、お金を手に入れることも同じ難易度だ」
そう説明していた。

これ、エイブラハムの本にも書いてある。
たしか「ボタンと城どちらの引き寄せも同じ」
そう書いてあったかな?

 

で、動画聴きながら納得した。

内容は私の言葉だとこんな感じ。

①水を飲みたい!(意図)
②水を飲みに行く。(行動)
③水を飲んだ。(結果叶った)
この意図に何の迷いもなく行動し、
のどを潤すことが出来るのは、
自分が水を飲めることは当たり前だと思っているからで。

これが、月収100万の場合
①月収100万になりたい!(意図)
②本業?副業?宝くじ?遺産相続?等々(行動)
③月収100万に(すぐなった?一年後?ならなかった?)
急にハードルがあがってしまう。

みんな水を飲みたいと思った時に、不安になりませんよね。
「私は本当に水が飲めるだろうか?」
「水ってどこから飲むんだっけ?口でいいんだよね?」
「水を飲んで誰かに批判されたりしないかな?」
誰も悩んだりしません。

文章にすると面白いし、当たり前なんだけど。
違う角度から聞くと新鮮だった。

昔の私のように頭が硬い人からは、
水と100万は違い過ぎると言われそうですが、
前記のとおり同じ、
難易度を決めてるのは自分なんです。

ここを認められるか認められないかが分かれ道。
本当に認めることで変わる。(経験者)

お手本は子供やペット!いま気分の向きを変える。

同じ動画で何度も
「向きを変える」という言葉が出てきます。
この表現も新しい!

これも私の表現になるけど、
西を向けば日が当たらず暗いけど
東を向けば眩しいくらい日が当たってる。

自分は向きを変えただけなんです。
光を頑張って作らなくてもいいんです。
努力しなくていいってこと!

でね、なんでみんな向きを変えないか、
今朝外で体操して気づいたの。
きっと光を真正面で受けたことがないからこわくて、
光にお尻を向けて「チラッ、チラッ」と少し振り返ってる。
「光の方を向いたら目が見えなくなるかもしれない。」
そんな感じ。

もっと言うと、
真正面から受けても大丈夫なことを忘れているだけ。

毎日朝日に向かって光を浴びながら体操してる。
私は眩しいからって西を向いて体操はしない。
慣れだよ。ね。

「叶わない」「苦しい」は向きを逆にしよう。

子供・ペットなんてすぐに向きを変えるじゃない。

さっきまで泣いてた子供がもう笑ってる。
そっぽ向いてた猫が急に甘えてくる。
ふて寝していた犬が今はしっぽ振ってる。

大人はすぐに条件や思考で判断しますが、
子供・ペットのように目の前の現実を無視して
いま気分を変えていい!
ご機嫌でいることは社会貢献です(^^♪

目の前の現実を「疑ってみる余裕」を持とう

私は自分の内側を見る時間が増えました。
本当にありがたい環境です。

最後に動画では
現実を「錯覚かもしれない」と疑え!
そう話していました。

解決がゴール。
夢が叶うことがゴール。

その解決や夢って本当にゴールか疑うことで
現実の見え方も変わるとの話でした。

正しいと思い込んで観察するのと、
間違いがあると思って観察するのでは
見えるものは違います。

間違い探しや、推理小説なんか読んでると
確かにその通り。

自分が今想像している「解決」「夢」
それが叶うことで自分は何か楽になりますか?
気持ちが晴れて心軽くなりますか?

私たちはきっと不要なものを手放して、
軽くなることで幸せになる。

ブログ書きながら
「夢が叶うこと=幸せ」とは限らないのかもしれない。
私の整理と、子どもたち向けに書いてるのに、
なんか残念な感じになってきたか?

この「疑ってみる」ことが
不要に握りしめてる何かを知るきっかけになる。
その結果自分が夢だと思っていたことが夢じゃなくなるかもしれない。

私は夢や目標はいつでも変わるし、変えていい。
軌道修正をする勇気を持ちたい。
最後までやることが美徳とも思わない。
もちろん最後までやり遂げてもいい。
縛りたくないし、縛られたくない。

お金を使うのは悪じゃない!「使う・使わない」メリハリを大切に。

今日も頭に浮かんだことを。
忘れないうちに整理します。

お金

お金を使うことはいいこと?悪いこと?

いいこと・悪いこと

結局はどっちでもないよね。

ただ、使った後に
「なんとなく嫌な気分」
そう感じることにはお金使わない方がいいよね。

お金を使って過去嫌な気分になったことを考えた。

やけ酒とか
ストレス発散の買い物
義務的な付き合い
寂しいを埋めるために誰かと会ったり…

あと、好きじゃない人に使うこと!

例えば、
自家用車購入時は営業担当者は選びます。
その後のお付き合いを気持ちいいものにしたいから。
合わない場合は変えてもらいます。

最近だとヨガ教室ジプシーだったけど、
やっと好きな先生に出会えました。
安くて近いところは他にもあるけど、
自分の好きな人にお金を使いたいから。

ここ数年いろいろ気付けて
嫌な気分でお金使うことは減りました。

が、もっともっと
使う私も、働いてくれてる夫も気持ちがいい使い方がしたい!
そう思いブログを書いています。

夫に対して
後ろめたい気持ちでお金を使いたくない!

もう一歩先に進みたい。

迷ったときの対処法は今は買わないこと。

買い物中迷ったとき。

なんとなく素敵なものに出会った時。

今買うべきか、買わないべきか…

みんなはどうしてるんでしょうね?

 

私は最近
「今買わなくてもまた良いものに出会える」
そう考えることが増えました。

今買わなくても
ご縁があれば次回まで残っているだろうし、
もし逃しても、
もっと良いものに出会えると思うと心が落ち着くんです。

以前の私だったら、
「せっかく来たんだし」
そんな意味の分からない言い訳をして
購入していました。

購入せず我慢した時は
次回にはきっと売り切れている…
そんな妄想でモヤモヤしてました。

考え方を変えたんです。

私は次も良いものに出会える!

昔の私は何事も
「チャンスを逃したら次はない」
そう思い込んでいた。

でもでも、よく考えたらさ、
洋服なんて毎シーズン良いものってあるし、
服が無くて仕方なく裸で過ごす人は少数派だと思う。

で、やっぱ欲しい!
そう思ったら買いに行けばいいわけで。

もちろんそこで躓くのが、
「買いに行く時間がない」
「めんどくさい」等々
なんだよね。

でさ、気持ちの根っこの部分見てほしいの。
お気に入りのモノを買いに行くのに「面倒」なの?
楽しみに感じるのが正常だと思うんですけど…
その程度なら買わなくて正解だったよね。

「時間がない」も同じでさ、
大好きな物買いに行けるなら何とかして時間作るでしょ。
これ、彼氏彼女と同じでさ。
好きなら何とかして時間作るじゃない。

「時間がない」は言い訳と認めてしまおう。

「子供が・仕事が…(涙)」
私も言い訳していたからわかるし、
「子供・仕事」が言い訳ではないこともわかる。
私は買い物より子供が大切。
私は買い物より仕事に責任を持っている。
ただそれだけなんだよね。



そんな事に気づかなかった30代までの私って、
なんてアホで可愛いんでしょう。

良いお母さんで
責任感のある社員じゃん!

手に入れられなかったことを見ないで
鏡の中にいる良いお母さんの自分を認めよう。

そこ心開けばとっても自由な世界だよ。

今買わなくて何も問題ない。
余裕な心で次もあると考えよう。

「使う・使わない」メリハリで見えてくるもの

今後の目標は

「使う・使わない」にメリハリをつける。

カードの明細で
内容がすぐに思い出せないことが多々あり。
せっかくお金を使っているのに
エネルギーが低いように感じてきて。

お金を使う=嬉しい!楽しい!時間なわけで。
それを思い出せないって
つまらない使い方だと思えてきたの。

今日から日常の生活費はともかく、
プライベートのお金は
最高に嬉しい!にだけお金を使うことにしました。

これは「使わない」ことが目的ではなく、
自分にとっての「厳選された嬉しいを見つける」

もっともっと自分にフィットする嬉しいを見つけたい。

その為の手段として
「使う・使わない」にメリハリをつける。
夫に後ろめたい出費はしない。
これを利用させてもらう*1ケラケラ

私は自分に甘いので、夫の目を意識することで
いい方向に進めるはず。

やっぱり思いついたらブログを書くのは大正解!

整理しまた一歩いい方向に進めそうです。

節約が目的じゃないよ!
自分の嬉しい!楽しい!を探すことが目的だよ!

*1:´∀`

「夢が叶った世界に自分が行ってしまう」ことで願望が実現するの?

今日も自分の整理のために
ブログを書きます。

叶っていない世界を現実化しているのは自分だと知る。

まずは誰もが認めたくないこと。

現実を作っているのは自分です。

ここを認めよう。
認めないと、いつまでたっても外の現象に振り回され主導権を握れません。
自分の世界を自分で作りたいなら、
作ると決めたならまず認めよう。

そして、
改めて自分の世界は自分が作ると決めよう。

そして、
自分が自分をどうゆう人間に設定しているか?
望む自分は何なのか?

自分の心を見直してみよう。

例えば
仕事ができない私
綺麗になれない私
元カレに執着している私

これが自分の思う自己像。

会社の評価だから、
親が言うから、
とかじゃなく、それを受け入れているのは自分。

安心して!

望まないと今気づいた時点で、
あなたの視点が変わる。

もう過去の
「望まない現実」を生きている自分ではない。
違う自分が存在しているんだ。

 

よくある勘違いが
現実を見てから望み、行動すること。

皆こう教えられ、信じてきたけどこれでは遅い。

なぜなら現実想像は
望み→現実の順番だから。
目の前の現実が後なんです。

願いが叶わないと悩むとき=叶っていない私になっている。

叶っていない私は、叶っていない現実を作る。

だから負のスパイラルから抜けれない。

そのことに気づくことが大切。
望んだ瞬間に叶った世界は存在する。

今自己像を変えよう。
仕事ができる私
綺麗になった私
元カレを忘れ前を向いている私

叶った私になってしまえば、
自動的に展開が始まる。

ライバルが多くても叶う世界は自分で作る。

自分の世界を作れるのは自分だけ。

わかっていても、
就活や受験の倍率をみて尻込みしたり、
恋愛関係もライバルが多いと怯みますよね。

多くの人が希望し、競争率が高くても
基本は同じ。

ダメだと思えば(望めば)難しいし、
周りは関係なく行けると思えば(望めば)そうなる。
(思うこと、関心を向けること=無意識に望んでる)

恋愛や結婚願望なんかは、
「私は夫(彼)から溺愛されている」
先にこうなってしまえばいいんです。

そうなってしまえば、
たとえSNSで私以外の女性と出掛けた投稿を見ても、
「溺愛されている妻」の立場になっていれば
嫉妬の気持ちも起こりませんよね。

「夫が友人と楽しい時間を過ごしたんだな。」
この程度になるでしょう。

もう妻になっているので、
いつ夢が叶うのか?と心配もしません。

文章にするとおかしな妄想女かもしれません。
可愛くやってのけたいものですね。

夢を叶える「先になってしまう」方法のまとめ

まず整理すると

  1. なりたい自分(望み)を決める
  2. 決めた瞬間叶っていると知る
  3. なりたい自分になったので現実世界が変わる
  4. 「なった私」で毎日を過ごす

この方法で叶えた方の話だと
①の望みはいくつ望んでもよくて、
③の状態で見るものや感じること、人間関係や環境
何もかもが「なった私」で展開されるそう。

不安や迷いの感情が出ても、
「なった私」での変化だから受け入れてOK。

気づいたときに「なった私」だったことを思い出し、
「なった私」のポジションに戻る。

どんな展開になっても「なった私」が起こしていることだから大丈夫。

この「大丈夫」という安心感がとても大切なのではないでしょうか?

 

最後に私の思うところを書きます。

①の望みって特定の何かが無くてもよくて。
特定の誰か、特定の会社とかにしなくてもよくて。

この方法で例えば叶わないことがありました。
それって方法や望みが間違っていたのではなく、
「そっちはあなたの道ではない」
そんなメッセージなのかもしれません。

生きていればいろいろあります。
すべて通り道。

寄り道が人生を豊かにしてくれる。

どうせ楽しい旅に導いてもらえる。

そのくらい安心して生きていこう。

私たちは「忘れてしまう」生きもの。そのことをいつでも思い出そう。

人間だもの。
忘れてしまうさ。

そんなもんさ。

気持ちの整理のために書いてます。

知らないことを知っている。

「思い込み」というフィルターをいかに外すかだ。

自分の考えをガラリと変える言葉に出会う。
心震える体験をする。

絶対忘れない。

ここから人生変えてやる!

そう思っても忘れちゃうことがある。

責めることは無いさ。

変に力むことないし、リラックスしていこう。

そう、

いつも忘れちゃう。

リラックスすることを。

私は苦しい思いをして何かを手に入れたいのではない。

今日も自ら妄想のコントラスト体験。

意識が過去に戻ってしまい、
気づいて今ここに戻ってきた。

私は力や立場で型に押し込められる体験を何度かしていて。

もちろん、勝手に押し込められてることに
抵抗してはいけないと思い込んでただけなんだけど。

そのころの記憶がよみがえると
その相手を陥れたい。
社会的に立派な顔してるけど、こんな最低な奴なんだよ。

そうオープンにして仕返ししてやろう。

本当の自分ではない感情が出てくる。

恨みのようなネガティブ感情は本当の私ではない。

何が、どんな思い込みを持って抵抗している?

私はずっと、
場を乱したくなくて不快な感情を出すことは少なかった。
それが大人としてスマートだと思っていた。
だから、多少嫌なこと言われても、雑な扱い受けても
乱さずスルーしていた。

昔の知人にいちいち感情的に乱す女性がいて、
子供っぽいとすら思ってたし、
場を乱さない私を個人的に評価してくれる人もいて嬉しかった。

でも今だから思う。
私を評価してくれた人たちは
その人にとって私が都合がよかっただけで。

「わたし」が上「彼女」が下でもない。

こうして文字にすると滑稽なんだけど。

書いていて胸がざわつくし、苦しい。

他人ならフラットに見れることを、
どうして自分はひいき目で認識するんだろうね。

今まではこんなこと気づかなかったし、
まさか文章にして認めてしまうとは。

他人の評価なんて気にするな。
そう簡単には言えるよ。
でもさ、それで向き合うことを止めたらそこまでなんだよね。

思い込みを手放すチャンスなんだよ。

思い込みを整理して、本当の自分を思い出す

そもそも、私がその場を乱さないようにホスト役を演じなきゃいけないのか?

そもそも、乱れてはいけないのか。

誰かを犠牲にしてその場を面白くしなきゃいけないのか?

そういえば、この集まりってターゲットいじりがあった。

今思えば気持ちいい集まりじゃないよね。

だから私離れたんだろう。

私の思い込みは
・この場を乱してはいけない
・乱さないよう私が配慮しなければならない
・そうすると私の評価が上がり好かれるだろう
・その結果大切に扱われるだろう

しかし、このコミュニティで全員が私を大切に扱うことは無かった。

で、嫌な対応してくる人の特徴。
その人を通して湧く感情って角度を変えればヒントになる。
ブログ書いてて今はまだネガティブ感情ではない。
もっと自分を掘り下げて、忘れていた自分に出会えそう。

どんな自分に出会えるんだろう。

その興味の方が今は強い。

自分の内側をホリホリ🐶(笑)
(´・ω・`)

イラっとした人達の特徴
・周囲から評価されてる
・自分が楽しいことに夢中
・言いたいことを我慢せずサラッと発言する
・自分を飾らない

これ自分の反対じゃないか⁉
私が我慢して隠し通しているのに、
あなた達は堂々と楽しみ、発言し評価を得てるなんてズルい!

コレだ。

私が常に内側で考えてたことは
・本当の自分を出したくない
・飾ってる自分しか出せない
・自分の楽しいことをコッソリ楽しむ

 

過去自分の感情を出したときに
信頼していた方から突き放される経験をしたことがあって。

小学校高学年くらいだったかな。
皆の前でとても恥ずかしい思いだった。

その時
「信頼して寄り添ってお付き合いしてたのに」
と、とても傷ついて。
考え方が変わった瞬間だった。

で、
文章にしてみると小学生女子の「あるある」でしかなくて(笑)

でもね、
ついさっきまで本当に握りしめてた思い込みなんだよ。

「本当の自分を出すと恥ずかしい思いをする」
そう間違った思い込みを信じてた。

だから、信じている現実が目の前に起こる。
そして、再確認する。
これを繰り返してたわけだ。

 

ざわざわしてゆるく吐き気が…
(*´Д`)

 

これが引き寄せの法則か⁉

結局は他人を納得させても安心感は得られない

私日常の思い付きを言語化が出来ないんです。
ずっと頭悪いんだと思ってたのですが、
先日ただの直感タイプだとわかって。

答えが先に降ってくる。
でも式は説明できない。

だから他人は私を理解できない。
不思議ちゃんのポジション。
アドバイスいただきました。

そう、だから理解されない経験が多かったために
自分を隠して成長してしまった。

しかし、直感で答えをもらう経験が多いため
なぜか内側では自信がある。

いつの間にか表面は何も知らないふり、
心の中では知っているから自信たっぷり。
ひねくれた性格になってしまった。

というか、
本来の自分から離れた思い込みをしていた。

よくよく考えればさ、
上手く説明できないなら他人を説得する必要はなくて。
もっと言うと、説明できても出来なくても説得は不要。

なぜなら、直感で届いている答えに自信がない表れだから。
自信はあるのに自信がない。
だから他人を納得させたい。
他人が納得することで「自分は間違っていない」と
安心したいだけ。

本当に見える現実は鏡でしかない。

で、
この思い込みをどう上書きするかだよ?

私は自分を信じたいんだ。

結局のところ、
他人が納得しても自分が納得してないことって
気持ちの折り合いがつかないんだよ。

痩せてるのに「自分は太っている」といってダイエットする人と同じ。
自分が納得して折り合いつけないと解決しない。

わかっているのに繰り返す。

そう、私たちは忘れる生きものなのです。

ダメな自分を受け入れるとともに、自分の魅力を認め受け入れてしまえ。

今日感じたことを書きます。
ブラックな感じになっております。

ダメな自分ってなーに?

よくダメな自分って言葉聞くし、
そんなこと思ってた。

ダメな自分ってどんなんだろう…

それって振り返ると、
誰かに否定的な言葉を言われた。
他人に雑な扱われ方をした。

そんな時に
「自分がダメだから言われたんだ」
「自分はそんな扱いを受ける人間なんだ」
そう思ったのかもしれない。

受け入れてしまった自分が悪いのではなく、
自分はいろんな考え方を認められる人なのかもね。

そう思うことにした。
たった今そう思った。

自分がダメなんじゃない。
違いを認められる人だった。
ただ、自分の立ち位置を忘れてた。

そういえば、あなたと私の間に境界線があったんだね!

多様性の世界。
いろんな良さがあっていい。
その中から自分の好きなものを選ぶ。
なんて素敵なんだろう。

理想の自分はもうここに居る。外にあると思うな!

何事も「良い面」だけではない。

「●●し過ぎる」と悪い面になってしまうことあって。
バランスがとれていることが大切で。

部屋が綺麗なことはいいことだけど、
日常生活で家族が汚してしまった時に
「せっかく掃除したのに…(怒)」

おしゃれは楽しいけど、
ヒールが痛くて不機嫌になったり。

これ、自分の話です。

つい目先のことばかりで生活すると
こんな残念な結果になる。

そもそも、
家族仲良く快適に暮らしたいから
掃除してるんだし、
おしゃれってTPOによって使い分けたほうが
気持ちいいし。

「TPO」とは、「時(time)」「所(place)」「場合(occasion)」に応じた服装の使い分けのことを指す略語

そもそも、
理想の生活
理想の人生
理想の自分 ってなによ⁉

世の情報に振り回されてないで、
じっくり考えて見なさいよ!

今自分が大切にしているモノ。
昔から変わらず大好きな物。
飽きもせず何十年と続けていること。

ごちゃごちゃ考えたり、
あたふたやみくもに動かないで
まずは落ち着いてよ。

気持ちの濁りが沈めば見えてくる。

いま一人。
誰も比べる相手はいない。

誰もいない。

思い切って自分の魅力を認めてみる

自分の自分らしい魅力って本当は知ってる。
なぜ認められないか、
認めてしまったら怖いことが起こると信じてるから。

それを認めたとき、看板に掲げたときに
どんな不幸が予想されるか考えてみた。

まず自分がよく褒められるところ
①聞き上手で癒し系
②物怖じしないところ

上記を認めた結果起こるネガティブな出来事

・否定されて恥ずかしく、悲しい気持ちになる。
・境界線を超えて近づいて来られる。
・甘えてもいい、何でも許されると勘違いされ不快な対応を受ける。


・相手が必要以上に強気で出てきたときに応戦してしまう。
・怪我や失敗(恥)などがつきまとう。

 

こう文字にしてみて思うこと。

②は私にとってマイナスはないことに気づいた。
基本自分は相手が攻撃さえしてこなければ温厚な人だし、
確かに物怖じしないことでの失敗はあったけど、
成長した自分はもう同じ道は経験しないと思う。
この特徴のおかげで最近は新しい出会いに恵まれているし。

①がちょっと厄介で。
2.3番目は自分が過去何度も体験していることだから。
また同じことが起こるんではないか…

で、ここで使えるのが②の物怖じしない自分じゃないかと見えて。
なにか不快な対応されたら、
物怖じせず「切ってしまえばいい」わけだ!
そう整理がついてきた。

あと、①の対策として
「見た目を変える事」を実行しようと思ってる。

自分の顔が「甘い」んだよね。
ファッションコンサル受けて再確認した。
体型も女っぽいので、どうしてもフェミニンよりを勧められる。
で、相談したら
顔的にエレガントも似合うとアドバイスもらえたので
少しずつシフトチェンジしていこうと。

もう過去私に不快な対応してきた人とは会わない。
そっちの世界を脱出してきたんだ。

とゆうことで、
自分の自分らしい2つ魅力を認めることにしました。
この調子でどんどん進んでいこうと思う。

人はなぜ働くのかを素直に考えたら、自己中心的な答えにたどり着いた。

一通りいろんな感情を経験して
大好きなエリさんに話したこと。

日記です。

無職なのに毎月美容室に行くという罪悪感

エリさんは私が通っている美容室の奥様で、
ラクゼーション担当しています。

聞き上手、話し上手なので一度心を許してから
毎回ヘッドスパの予約をしてエリさんと会える状態にしています。
ラクゼーションメニューを入れないと不在なこともあるのでね。
(*´Д`)

エリさんに会って分かったこと。
キャバクラで指名する人の気持ち。
髪を切る時間楽しみたいもん!
(オーナーさんが嫌いなわけではありません)

会社員時代からのお付き合いで、
無職になるまでの経緯はご存じな方。

私が持っているモヤモヤ感。
綺麗になりたいけど、不健康なものは嫌、
おしゃれっぽく見られたいけど、無理してるのは嫌、
今も私は私のちょうどいいを探していて
その都度相談しています。

で、お金の話もするんですね。
夫は美容室に行くことを反対してないのに、
毎月美容室に通う罪悪感があること。
数か月迷い、最近2か月に1回にしました。

実は言葉にしなかったのですが、
カットの回数減らすと貧しくみられるかな。
そう思っていて(笑)

相談の結果
カラーの持ちをよくするために施術方法を変え、
1回の値段は少し上がることで落ち着きました。

効果を感じますし、
美容室に通う手間も減り
以前より気持ちよくお金を支払えるようになりました。

ポジティブな感情でエネルギーを出す。
気持ちいいをマッサージ中じっくり味わう。
これが出来るようになったんです。

「欲しいものがあるから働く」これは正しい。

以前の考えは
「生活のために働かなければならない。」
だったのが、現在は
「好きなことするために稼ぎたい。」
に変わりました。

もちろん生活にはお金がかかります。

妻の立場だから、夫が稼いでるから。
はい、その通りです。

しかし、この間まで住宅ローン以外借金はないものの
共働きでも決して余裕があったわけではないんです。

最近夫ともよく話すんです。
確実に収入は減っているのに
口座に残高はある。

ここ数年の環境変化もあり
生活は変わりました。
その為支出が減ってるのも理由の一つですが、
お金に対しての考え方の変化が
大きいと感じています。

簿記やファイナンシャルプランニングの勉強をしていた時より、
ここ数か月実践している
「ポジティブな感情でお金を使う」

こちらの方が私には合っているようです。

前向きな気持ちでいると
働くことに対しても意欲的になり
20代に感じていた
「やりたい事のために収入を得る」
当たり前で大切な感覚を思い出したんです。

いつの頃からか、
生活のために働く、育休は取らないと損、
正社員を辞めるのはもったいない。
ネガティブな言い訳ばかりで生きていました。

そして、目にする情報は
美人ママが子育てと仕事を両立している発信。
夫婦で家事分担や時短家電の情報でした。

こちらは私の道ではなかったことがわかり、
自分で認められたことが、今思えば大きなきっかけでした。

結局他人の道を歩いても幸せを感じられない

時間はかかりましたが
1周まわって今の位置にたどり着いた気分。

いくら社会がどんな情報を発信しようと
私は私の道でしか幸せになれない。

夫婦で協力し共働き。
手厚い年金や社会保障

素敵に発信されても私には必要なかった。
振り返ればわかる。
その情報に触れたときワクワクしなかった。
上手く出来なくて自分にダメ出ししてた。
ほら、私にはちゃんとメッセージが来ていた。

嫌な気分になるのは自分が悪いのではない。
内側からのメッセージ。
それを受取れる自分でいること。

先日エリさんと素直に話したんです。
「好きなことするために働くっていいですよね⁉」
子供っぽいかな、と思いつつ。

でもちゃんと私の伝えたいことは理解してくれて。

もちろん誰かのために働くことも素晴らしい。
だけど、まず自分が満たされていないといつかバランスを崩してしまう。
家庭も大事、自分も大事。

欲張りなんてことは無い。
外の情報に振り回されず選択すれば、
本当に大切なことだけなんて少ない。

毎日ネガティブな感情は湧きます。
何十年と飽きずに出てくる同じ感情もあります。
でも、何だろう…
変化を感じているので、昔のように心乱されることが少なくなりました。

いつだって感情が教えてくれる。
信頼して内側にお任せすること。