秋分の日に断捨離したものと夫との対話

秋分の日は節目といろいろな人が発信してます。
私もそう思います。
ここ最近不快な体験から手放すもの見えてきました。

まず、数日前にみえたもの
1.他人の目
2.お金を必要としない行動力
3.今、目の前にあるものは本当に現実か?

 

1.気づいたきっかけはインスタ顔出ししてからお店のタグ付けが怖いと感じ、できなくなった。ブログで毒はいてるからか、その辺もざわつく。
もちろん出す出さないは自由。
私が選べばいいこと。
出して新しい人たち、好きの感度が近い人とどんどん繋がりたい。
でもどこかで勝手に今の知り合いを否定しているような気もして、これは私の気持ちの底にある感情だと認めつつ、いや認めてないから動けないことは認めてる。
うん、怖いけどここに向き合いたいのです。
2.きっかけは以前の会社にいた後輩と話したことで感じた。
彼はいつも私にいい意味で不快を通して気づきをくれる。
多趣味で行動力のある彼へ退職後の私の生活を話したところ
「ふみさん会社に居る時とやってること変わらないっすね(笑)」
だと。
相変わらずムカつきます。
なぜなら私が頭でばかり考えて行動していないから。
そして、じっくり考えて(考えたつもり)いざ始める時に
何かとお金をかけてプロのアドバイスを受けたがる。
彼はまず、お金をかけずやってみるタイプでそれを恥ずかしがらずさらりと皆に言う。
もちろんお金をかけてもかけなくてもどっちでもいいの。
なんだろうね。
ほんとこうゆう自分カッコ悪いなと思うし、恥ずかしい。
これを手放すと決めた。
3.これは最近次男がよく話す言葉。
「目の前のことはホントは夢かもしれないよ、夢がほんとかもしれないよ」
これは手放すとかではないんだけど、面白いなと思っている。
目の前のものに入り込みすぎなくて私は助けられてます。

夫との対話は私へのクレームでした。
ここ数日今後の仕事や、過ごし方を考えすぎて、
疲れてしまって、一昨日は話す気力もないくらい。
子どもと普通に接することで精一杯だったら。
夫はどうしていいか分からなかったそう。
自分的に次の日にはだいぶ戻ってきつつ、甥っ子たちの子守だったから、あまり話せず。
そんなこんなで秋分の日を感じておりました。
正直話すと、親身になってないことが彼を不快にしている原因ではないかと思っています。
家が悪い、親が悪い、職場が悪い。
だから俺は鬱になった。
と、言われても、寄り添えないんだよね。
日々周りの悪口ばかり言ってて、他人目線でこの人は大変な世界で生きてるんだな。と思ってるし、本人に感想は伝えてる。

 


ギャーッ
書いてたら後ろにいてびっくりした!
もー、もー存在感がいい意味でうすくて(笑)
震えた。