自分を丁寧に扱う、キレイを求めることにOKをだす、自分美意識を表に出す
とゆうことをはじめて1年10か月
薄々気づいてはいたの
なぜ私がこの20年間ほどほどでいいと思っていたか。
学生の時一部の男子から私を汚いもの(何と言われたかは書かないけど)として言われてた過去の呪いだったんだよね
もちろんほとんどの男子はそんなことなかったし、好意を持ってくれた人もいた。
だけど私は私が「自分は汚いもの」ってことを採用していた。
だからもちろん好意を持ってくれた人にはいい返事はせず、優しい人だったけど断ることも恥ずかしくて逃げてた。
あれから20年以上経ってほともこさんのセッション受けて、自分の好きに素直に行動し続けたらいろんなことにきづいて、環境や、人間関係に変化があった。
本当にみんなから大切にしてもらえるし、伝えたいことは言葉で伝えられることが増えた(伝えた結果希望がかなわなくても自分で伝えたことでストレスが激減した)
で、タイトルについて。
今日は雨だからRDRのランジェリー、アジサイ色のブラを付けようと決め、鏡をのぞいた時に
「だから私は下着がずっと好きだったんだ」って気づいた
詳しく書くと
社会人になり、みんなファッションやメイク、ヘアスタイルなどそれぞれの好みで動いていくと思うんだけど、
私は心の根っこに「私は汚いもの」がずっと残っていて
おしゃれはほどほどがいい(汚い私が張りきったおしゃれをしたら笑われたりするはず)
メイクは控えめに(汚い私がパーフェクトなメイクをしたら恥ずかしい)
美容師さんに希望のヘアスタイルなんて言えない(私なんかは女優やタレントの名前だしたら無理って言われるはず)
だけど、残念な人には見られたくないからほどほどに外見は整えたい。
こんな20代30代を過ごす中で唯一自由に選べたのが下着だった。
誰に見せるわけじゃないから何も言われない、私が好きなデザインを選べる。
それが下着だった。
それに今朝気付いて泣けてきた。
今も書きながら涙がでる。
で、思い出したのが前日ベットで読んだ本で
過去の自分を自分で癒すみたいな体験をした話があったの。
そのページを読んだのもきっかけだったかな。
その後もしっくり自分に合うランジェリーには出会えなくても諦めきれず
そんな時憧れのお店が地方販売会をしていることをしって
やっとリュードゥリューに出会えた。
いろんなもの試したけど自分の体を否定されないお店って少ない。
心の根っこが壊れてたことにリュードゥリューだからわかったんだ。
初めて販売会に行った時には気付かなかったことに今気づくとは。
なんか、もう、答えは自分の中にあるんだ。
あとは気付くか気づかないかなんだ。
で、気付いた自分どうする?なんだ。
まず、本にあったように
今の私が学生の私を助けに行こう。
辛かったんだよね。
誰かに助けて欲しかったんだよね。
本当は逃げ出したかったのに逃げたら負けだと思ってた。
本当はそうじゃないことを10代の私に伝えに行こう。
時間の流れって自分が学んだものとは違うみたいだから。